いちご鉄道をもう一度

 

澄里〜滝沢御殿で被災した231+233。一旦は復旧したものの台枠へのダメージが大きく、キハF331導入で廃車となりました。

あれから9年


 いちご畑の中をいちごミルクカラーのディーゼルカーが走る第三セクター鉄道、「すみさといちご鉄道」をサイトで紹介したの は2006年のことでした。
 あれから9年、すみさといちご鉄道はどうなったのでしょうか。
 2009年に滝沢支線が廃止されたものの、それからしばらくはつつがなく運行を続けていましたが、2011年3月に発生した東日本大震災で大きな被害を受け、長期にわたっての運休を強いられました。特に川東〜澄里間の被害は甚大で、半年後に復旧するまで北岡〜川東間に取り残された3両でやりくりしなくてはなりませんでした。
 車両のやりくりもたいへんでしたが、それ以上に燃料の確保にも頭を悩ませました。いちご鉄道の給油設備は澄里にしかありません。川東までなんとか経由を運ぼうにも道路もいたるところで寸断され、また軽油を輸送するトラックの燃料もバカになりませんでした。
 キハF230形の燃料タンクは短距離用なので1,000リットル。燃費からいって2,000キロ走れば空になってしまいますし、営業運転中に被災したので各車両には数百リットルしか燃料は入っていませんでした。燃料の残量を計算しながらの運転計画はたいへんシビアで、のちに低燃費のハイブリッド車に傾く下地をここで作ったとも言えます。
 そしていよいよ燃料が枯渇するというときに滝沢産業殿が分けてくれた軽油。これのおかげでなんとか澄里復旧までいちご鉄道 は持ちこたえられたといっても過言ではありません。
 復旧費用に関しても県と北岡市と澄里町がインフラを買い取り、国から復旧費用が出るように取りはからっていただいたおかげで早期の復旧が可能となりました。車両についても復旧までの酷使がたたり急速に老朽化した3両のF230形にかわり、産油国からの援助でF330形6両が入線。入れ替わりに被災したキハF230形3両とキハF201形が引退しました。

沢入駅を通過する澄里ゆき快速。もともとキャンプ場くらいしか駅の近所にはありませんでしたが、澄里バイパス沿いに生活圏が移動した結果、沢入駅1日の利用客数が185人(2006年実績)から6人(2014年実績)まで落ち込みました。これは夏場の沢入キャンプ場への利用客も加わった数字ですので、普段の利用客は「限りなくゼロ」ということになります。

 震災で沿線の概況は大きく変わりました。
 特に沢入・滝沢地区の過疎化は深刻に進み、2013年のダイヤでは日中の普通列車がすべて川東折り返しとなり、日中の川東〜澄里間から普通列車が消えてしまいました(なお、2014年の修正で日中に1往復だけ普通列車が復活)。また、学校の統廃合も進み、澄里高校が姫川高校と統合。朝の澄里ゆきの列車か ら通学生の姿が消えました。
 西澄里駅に隣接した姫川交通の澄里バスターミナルは、姫川交通の澄里地区撤退により廃止。西澄里駅は100メートル先に移転し、「道の駅すみさと」に乗り入れ、駅名も「新澄里」となりました。
 撤退といえばイオンモール澄里も震災後に撤退。後継のテナントも入らず一時はイオン前駅の廃止も俎上に上がりましたが、澄里町が跡地を再開発し「ストロベリーモール」を開設し、かつてほどではないにせよ活気を取り戻しています。
 また、澄里はテレビドラマや情報番組に積極的に露出し、湘南ストリームラインと「ストロベリーアライアンス」を組んで東京での「どくいちご」の知名度強化、旅行代理店とのタイアップでインバウンドの獲得に力を入れるなどすることで観光地としてのポジションを確立。日中は毎時1本の快速列車、休日はそれに加え、コンセプト列車の「スイートボックス」を運転していますが、乗車 率は終日2両編成が走る程度には賑わっています。
 川東地区は地元に雇用を作るために税制を優遇し工場やamazonを誘致。これらの企業からの税収はあまり期待できませんが、市民の雇用が促進され所得税が徴収できればそれでよしとする考えのようです。一方、地元に雇用がない澄里町はたいへん深刻な状態で、今後どくいちご農家の高齢化が進むと第三次産業に乏しい澄里町は早晩行き詰まるのではないかと悲観的な見方をする者もいます。

コンセプト列車「SWEET BOX」
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サマンサ 2006,2015
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