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湘南ストリームライン

 
原宿線ものがたり
藤沢付近線路移設の流れ

黄色が寒川鉄道、赤が湘南平塚電鉄。当初は国鉄線をはさんで海側に湘南平塚電鉄、山側に寒川鉄道が路線を敷いていました。

関東大震災で横浜市内に緊急の給水を行うため、新鵠沼〜辻堂間に連絡線を敷設。辻堂〜寒川間は三線軌道となります。

寒川鉄道と湘南平塚電鉄は戦時統合でそれぞれ東急平塚線、寒川線となり、寒川線の藤沢〜辻堂間は不要不急路線として撤去され、原宿線は狭軌のまま独立路線となります。戦後は湘南ストリームラインとして東急電鉄から分離独立しますが、寒川鉄道はそのままストリームラインの一員となり、それぞれ湘南ストリームライン寒川線、原宿線となります。

歴史的経緯から原宿線の藤沢駅構内は半径40メートルの急曲線で直角に曲がっていたため、15メートル車以上の車両が入線できませんでした。そこで原宿線の中田延長で旅客数の増加を想定し、新藤沢駅は国鉄と直角に接することで18メートル級の車両を入線できるようにしました。
 
 原宿線は藤沢〜中田間8.4キロの路線で、藤沢駅で平塚線と連絡はするものの、原宿線ののりばはいったん平塚線の改札を出て駅前広場を横断し、JRと小田急の藤沢駅コンコースを通り抜けた先にあり、また平塚線が1435ミリゲージなのに対して原宿線は1067ミリゲージと軌間も違うため、平塚線とは線路が繋がっていません。当然運転系統も独立しており、日中は3両編成の電車が藤沢〜中田間10分ヘッド、ラッシュ時は7.5分ヘッドというダイヤになっています。
 
 原宿線の歴史を遡ると、藤沢〜寒川間に開業した寒川鉄道に行き当たります。寒川鉄道は相模川の砂利を輸送する鉄道として開業。藤沢駅で国鉄に貨物を中継する関係から1067ミリゲージで開業しました。
 砂利輸送で順調に潤った寒川鉄道は、原宿を有望な開発エリアとして、藤沢〜原宿間を電化開業。原宿〜寒川間の通し旅客こそ少なかったものの、原宿から藤沢市内へダイレクトに移動できる原宿線は好評をもって受け入れられました。
 しかし、関東大震災が寒川鉄道の命運を変えます。
 震災後、横浜市内に水を運ぶため、相模川から給水電車を湘南平塚電鉄経由で走らせることとなり、辻堂〜寒川間に標準軌の線路を追加。辻堂〜新鵠沼間に湘南平塚電鉄との連絡線を設け、寒川〜横浜市内間に1日6往復の給水電車を運行しました。湘南平塚電鉄は標準軌、寒川鉄道は狭軌でしたが緊急事態ということでなかば強引に(横浜市もさりげなくバックアップをしたそうです)3線軌としたのでした。もっとも寒川鉄道としてもここで「貸し」を作ることでいろいろ思惑があったでしょう。実際、辻堂〜寒川間の路盤は他人の金でガッチリと強化されましたし。
 震災輸送が一段落すると、横浜市内に直結する湘南平塚電鉄と寒川鉄道の間に直通列車が運行されるようになります。当時は国鉄旅客列車は長距離輸送中心で本数が少なく、30分間隔で横浜市内に直通する電車が走るようになると、寒川鉄道のメインルートは湘南平塚電鉄方面となり、辻堂〜藤沢間は貨物列車中心となります。もともと寒川〜原宿の直通需要などないに等しく、原宿方面の旅客の大半は藤沢で湘南平塚電鉄に乗り換えていました。
 1932年には寒川〜伊勢原間が延長開業。この区間には標準軌の線路しか敷設されませんでした。そして湘南平塚電鉄との共同設計車50形(湘南平塚電鉄92形と同タイプ。ただしこちらは単車)を10両揃え、横浜市内へ伊勢原から参詣列車を走らせます。
 時は流れて1943年、戦争は泥沼状態となり鉄材供出や燃料統制など国民生活にも暗い影を落とします。寒川鉄道は国鉄と重複している藤沢〜辻堂間の線路を不要不急路線として撤去、辻堂〜寒川間の狭軌線路も供出の対象となります。そして1944年には湘南平塚電鉄と共に東急電鉄に編入。東急平塚線、寒川線、原宿線となりました。
 1947年、東急電鉄から分離独立し「湘南ストリームライン」が誕生しますが、このとき寒川線は寒川鉄道ではなく、湘南ストリームラインとして一体になりました。旅客流動からも辻堂〜藤沢間の復活はなく、原宿線はストリームラインの中で孤立路線として狭軌のまま、現在に至ります。1988年に横浜市交通局の湘南台延長に合わせて原宿〜中田間を延長する際に標準軌へ改軌する話も上がりましたが、費用対効果の面から得策ではないと判断され、現在に至るまで狭軌のままです。
 現在原宿線では定期検査・重要部検査までは原宿にある鵠沼工場原宿分所で行っていますが、全般検査は鵠沼工場まで陸送して行われます。もし中田延長の際標準軌になっていれば、鵠沼工場へ入場する列車が市営地下鉄経由で回送されていたかと思うと実に愉快です。目と鼻の先、わずか2キロ先の工場へ回送するのに30キロ近い大回りをする予定だったんですから。
 寒川線は短距離の孤立路線ですが、輸送密度は決して悪くありませんし、路線単位での営業係数は75。立派な黒字路線です。とはいえ、藤沢駅での乗り換えが嫌われたのか原宿線⇔平塚線の流動は少なく、藤沢駅から約4割はJRに乗り換えてしまうのが悩みの種です。 

原宿線10形を紹介する絵葉書。ストリームラインがどちらかと言うと浮かれた感じの電車だったのに対し、シックで落ち着いた造作の寒川鉄道原宿線の電車は、原宿に高級住宅街を造るぞと言う寒川鉄道の意気込みが伝わってくるものだったと言われています。
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