92形は1932年にいよいよ平塚線が全通するにあたり、所用車両数が増えるため増備の必要があったことと、関東大震災の復興過程で横浜市交通局弘明寺線に存在した急カーブが解消し、車体幅2,400ミリ、全長12メートルまでの車両が入線できるようになることから、平塚〜横浜直行の上急行(のちの特急)用として2連10本と、震災復興をきっかけに平塚線と線路がつながった寒川鉄道が同じ規格で単車を6両の計26両が製造されました。便宜上湘南平塚電鉄所属車両が92形9201〜9220、寒川鉄道所属車両が9250形9251〜9256と附番されました。 この1932年は平塚が市制を施行することとなり、それに併せて湘南平塚電鉄も平塚への延長が決まるということで、平塚市制記念として湘南平塚電鉄・寒川鉄道と平塚市が市制施行記念に相応しい電車にしようということで、正面が流線型、座席はビロード張りで間接照明というなんとも悪のりが過ぎたような電車を造ってしまいました。製造費用もそれなりにかかったでしょうが、そこは平塚市からの「ご祝儀」でなんとかなったようです。 92形電車は見た目こそ大胆ですが、システムは83形のものをベースにしています。ただし、最高速度時速85キロ程度の特急運転を考慮し、モータは75キロワットのMB98×2。端子電圧750ボルトのモータなので直並列制御を行うほか、最大65%の弱め界磁運転も行います。MB98は低速側のトルクが太いため、ギア比は2.45として高速性能を重視しています。ブレーキはSME。当時としては十分な性能でした。 ここで高速性能を重視といいながら低回転形のMB98を採用した理由についても触れておきましょう。ストリームラインはインターバンということで、軌道は省線に比べ簡易なものになっています。また、茅ヶ崎付近は地盤が緩く、アンジュレーションが避けられない状態でした。そんなところで高回転形モータを使った日には、フラッシオーバのリスクが高まってしまいます。 さらに、大船〜弘明寺間及び横浜市電の区間では、カーブや信号待ちでストップ&ゴーが多く、ゼロ速度から中速域でのトルクが必要です。そうなると出力を犠牲にしても電機子径を大きくし、低速側の性能を重視しなくてはなりませんでした。 そんなわけでMB98の定格回転数860rpmという数字になったわけですが、他社ではどうもこのモータが不評だったようで、MB98は当時の三菱の技術力の限界、みたいな言いかたさえされています。MB98の名誉のために言えば、直線で回しっぱなしにするような走りに向いていないというだけで、駅間4キロくらいの路線を中速で走る分にはとても使いやすいモータです。そもそも名機といわれるMB3020だって大径電機子で低速トルク太いじゃないですか。 閑話休題。そのMB98を活かせるように作られた制御装置はHLF-104-6VDH。電気ブレーキは一応装備されていますが、端子電圧750ボルトモータなのであまり使われることはなかったようです。ABFではなくHLFとした理由は、軌道線を走る際にノッチを素早く選べるという事情が要求されたためです。もちろん電空カム軸方式などというかったるいものではなく、応答性のよい単位スイッチ式です。これにより、2.45のローギアードながらノッチの進め方次第では2.5キロ/秒程度の加速は可能となり、さらに最高速度は85キロ以上となり、平塚〜横浜尾上町間45分運転を実現しています。 ▲湘南平塚電鉄所有の2両編成車は妻側も流線型となっており優雅さを強調していましたが、もしここが切妻ならあと8人は定員が増やせたのではないかといわれています。
■ストリームラインの原点
|