ブログ リンク

湘南ストリームライン

 
SL-1(92形/9250形)

 
■基本性能
編成:9201(cmPpG)+9202(cmpC)/9251(cmPpCG)
重量:24.0+23.6 25.5
モータ出力:MB-98(75キロワット)×2/両 ギア比:2.45(吊りかけ)
制御器:単位スイッチ方式 HLF-104-6VDH
ブレーキ方式:SME(応荷重装置なし)
加速力:33キロまで1.7キロ/秒
減速力:常用3.0キロ/秒 非常3.5キロ/秒 最高速度:85キロ
■平塚市制施行記念列車
 92形は1932年にいよいよ平塚線が全通するにあたり、所用車両数が増えるため増備の必要があったことと、関東大震災の復興過程で横浜市交通局弘明寺線に存在した急カーブが解消し、車体幅2,400ミリ、全長12メートルまでの車両が入線できるようになることから、平塚〜横浜直行の上急行(のちの特急)用として2連10本と、震災復興をきっかけに平塚線と線路がつながった寒川鉄道が同じ規格で単車を6両の計26両が製造されました。便宜上湘南平塚電鉄所属車両が92形9201〜9220、寒川鉄道所属車両が9250形9251〜9256と附番されました。
 この1932年は平塚が市制を施行することとなり、それに併せて湘南平塚電鉄も平塚への延長が決まるということで、平塚市制記念として湘南平塚電鉄・寒川鉄道と平塚市が市制施行記念に相応しい電車にしようということで、正面が流線型、座席はビロード張りで間接照明というなんとも悪のりが過ぎたような電車を造ってしまいました。製造費用もそれなりにかかったでしょうが、そこは平塚市からの「ご祝儀」でなんとかなったようです。
 92形電車は見た目こそ大胆ですが、システムは83形のものをベースにしています。ただし、最高速度時速85キロ程度の特急運転を考慮し、モータは75キロワットのMB98×2。端子電圧750ボルトのモータなので直並列制御を行うほか、最大65%の弱め界磁運転も行います。MB98は低速側のトルクが太いため、ギア比は2.45として高速性能を重視しています。ブレーキはSME。当時としては十分な性能でした。
 ここで高速性能を重視といいながら低回転形のMB98を採用した理由についても触れておきましょう。ストリームラインはインターバンということで、軌道は省線に比べ簡易なものになっています。また、茅ヶ崎付近は地盤が緩く、アンジュレーションが避けられない状態でした。そんなところで高回転形モータを使った日には、フラッシオーバのリスクが高まってしまいます。
 さらに、大船〜弘明寺間及び横浜市電の区間では、カーブや信号待ちでストップ&ゴーが多く、ゼロ速度から中速域でのトルクが必要です。そうなると出力を犠牲にしても電機子径を大きくし、低速側の性能を重視しなくてはなりませんでした。
 そんなわけでMB98の定格回転数860rpmという数字になったわけですが、他社ではどうもこのモータが不評だったようで、MB98は当時の三菱の技術力の限界、みたいな言いかたさえされています。MB98の名誉のために言えば、直線で回しっぱなしにするような走りに向いていないというだけで、駅間4キロくらいの路線を中速で走る分にはとても使いやすいモータです。そもそも名機といわれるMB3020だって大径電機子で低速トルク太いじゃないですか。
 閑話休題。そのMB98を活かせるように作られた制御装置はHLF-104-6VDH。電気ブレーキは一応装備されていますが、端子電圧750ボルトモータなのであまり使われることはなかったようです。ABFではなくHLFとした理由は、軌道線を走る際にノッチを素早く選べるという事情が要求されたためです。もちろん電空カム軸方式などというかったるいものではなく、応答性のよい単位スイッチ式です。これにより、2.45のローギアードながらノッチの進め方次第では2.5キロ/秒程度の加速は可能となり、さらに最高速度は85キロ以上となり、平塚〜横浜尾上町間45分運転を実現しています。

▲湘南平塚電鉄所有の2両編成車は妻側も流線型となっており優雅さを強調していましたが、もしここが切妻ならあと8人は定員が増やせたのではないかといわれています。


▲寒川電鉄車の9250形を先頭に横浜市内線を行く9250形/92形。当時横浜市電はポール集電なので、集電は92型から行い、9250形はcT扱いでcT+cM+cMの直列運転を行っていたそうです。低速トルクの強いMB98ならではの運用といえましょう。

ストリームラインの原点
 システム的には比較的保守的な92形ですが、外見は当時流行の流線型をふんだんに取り入れたスタイリングとなり、また、室内は間接照明にビロード張りの座席という、通勤形電車としては贅沢な内装となり、たちまち沿線の話題となりました。特に流線型のボディと特急運転のインパクトは高く、湘南平塚電鉄といえば「流線型の高速電車」とかえってくるほどのイメージになり、92形営業運転に際した新聞記事「流麗たるストリームライン」が利用者のツボに入ったのか、いつしか湘南平塚電鉄は「湘南ストリームライン」と呼ばれるようになりました。寒川鉄道の9250形と合わせて、平塚・寒川から特急を運行、藤沢で両列車を連結して横浜市内を堂々3連で走る姿はまさに流行の最先端。横浜のモダーンな雰囲気にぴったりだったようです。
 その後戦争に突入し、湘南平塚電鉄は東急平塚線となり、いったんはストリームラインの名前が消えてしまいましたが、1947年の分離独立の際、もと寒川電気軌道(原宿〜藤沢・辻堂〜伊勢原間)の東急寒川線・原宿線も併せて独立するにあたり、平塚線と寒川線の総称として鉄道名を「湘南ストリームライン」としました。現在までつづく会社名の原点は、92形(9250形)にあったわけです。そして1952年、SL-3(100形)登場の際、流線型の看板列車ストリームライナーの初代車両として正式に「SL-1」を襲名(04形がSL-2)。現在SL-7までつづく、ストリームライナーの源流となりました。
 SL-1は戦後も急行を中心に活躍しましたが、1968年の昇圧に当たって、機器を190形に譲り順次廃車。現在は9251号車が鵠沼車庫で保存されており、イベント時などに一般公開されます。

▲鵠沼車庫で保存されているSL-1。元寒川鉄道両運転台車のトップナンバー、9251号車が保存されています。
 

サマンサ 2013
ホームページへ   プロフィール  PR:無料HP  原町中央自動車教習所  請求書買取 口コミ 埼玉  アニメ 専門学校  タイヤ  中古ホイール 福井  タイヤ キューブ 新品  環境 専門学校  elf  アメジスト  神奈川 短大  通信制大学  ロゴ ホンダ 中古  シアリス 効果