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湘南ストリームライン

 
190形
■基本性能(平塚線時代)
編成:191(cmP)+1951(tCG)+192(cmP)
重量:27.0+19.6 27.0
モータ出力:MB-98(75キロワット)×2/両 ギア比:3.45(吊りかけ)
制御器:電動カム軸方式 ABF-104-15VH
ブレーキ方式:SME(応荷重装置なし)
加速力:33キロまで1.7キロ/秒
減速力:常用3.0キロ/秒 非常3.5キロ/秒 最高速度:65キロ
MT編成で輸送力アップ
 1932年に登場し、ストリームラインのフラッグシップとして活躍してきたSL-1も、製造から30年が経過するとさすがに老朽化が進んでおり、さらに1971年の1500ボルト昇圧を前に昇圧即応車をある程度揃えておく必要がありました。そこで、SL-1の機器を流用した更新車両を製造することを決定。これを150形の続番ということで190形としました。190形という数字はずいぶん中途半端ですが、これはSL-4(150形)の製造が177号車まで計画しており、そこに多少の余裕を持たせた結果です。
 さて、SL-1はMB-98を各車両に2台搭載していましたが、190形はMB-98を4基搭載したMTM編成。車体の幅はSL-4と同じ2,800ミリとなりましたが、全長はモータのパワーと性能面を考慮して15メートルとしました。一方で扉は片側3箇所として通勤用とに対応しています。SL-1では2モータだったのを190形では4モータとしたものの、中間にtを挟む関係で、ギア比を3.45に上げています。結果、低速トルクに強いMB98モータ本来の特性をあまり生かせない状態となりましたがしかたがありません。
 主制御器は昇圧を前提に考えるとSL-1の機器を流用するわけには行きません。そこで1C4Mの制御器、ABF-104-15VHを新調しています。その名からも分かるように弱め界磁を65%までかけることができましたが、定格回転数860rpmのMB-98には過酷なセッティング。(つりかけ式にしては)ハイギアードで雨が降れば空転するし、750ボルトの大径モータでの弱め界磁使用はフラッシュオーバを頻発するなど、手のかかる電車となってしまいます。

SL-1(奥)の機器を流用して車体を大型化したのが190形ですが、大型化した分重量が増えると走行性能が低下します。そこで半ば旅客サービスを無視した軽量化が行われることになりました。

昇圧即応
 190形は昇圧即応車として計画されたため、MB98モータを600ボルト/1500ボルトで使うためにはどうしたらよいかということが議論されました。いったん昇圧すればもう600ボルトに戻ることはないので1500ボルトメインで「600ボルトでも走れる」セッティングにしたいということで、ありえないような割りきりが行われます。
 1500ボルトでは4モータを直並列制御するのが理想なのでここは崩しません。それでは600ボルトはどうするか。できれば1500ボルトの結線をいじらずに昇圧したいということで、台車にある2台のモータのうち、片方を殺しての運行とすることで解決を図ります。そもそも制御器は1500ボルト用にABF-104-15VHを新造してるため、なんとも乱暴な方法ですがこれ以外方法はありませんでした。これにより出力が実質半分となるためMTM編成でもSL-2のMTT編成よりはマシ、という程度の走行性能となりましたが、昇圧までの辛抱と割りきります。補助電源も600ボルトの間はMGをバイパスして中間tに搭載した抵抗で200ボルトに落とすという乱暴なやり方でしのぎました。
 これで1500ボルト昇圧即応めでたしめでたしといけばいいのですが、600ボルトの段階ではSL-1のMTM編成なみの性能は確保しておかなくてはなりません。機器がSL-1と同等とはいえ、車体が大型化すれば重量が増え、当然性能も下がります。そこで車体は可能な限りの軽量化が求められました。

平塚線時代のヒトコマ。白帯と黒帯が入れられ急行運用をアピールしていましたが、長続きはしませんでした。

涙ぐましい軽量化
 鉄道車両は軽ければ軽いほど基本性能が上がります。さしあたって600ボルト片肺運転の時はSL-1のMTM編成程度の性能を出せればという考えで、SL-1と同等程度の軽量化を図ることになりました。
 まず最初に検討されたのは外板の厚みです。通常ストリームラインでは2.4ミリ厚を使っていますが、これを1.6ミリ厚にできないかと考えたのです。外板が2/3の厚みになれば、鋼体重量を大幅に軽減できます。もっともこれは剛性低下をもたらすため何らかの工夫が必要。そこで190形では合成を確保して薄肉化ができるハイテン鋼を採用。リブやコルゲート、ウインドシルなどのないスマートな形状を実現しました。しかし、薄肉で剛性が高いのはよいのですが、一方で延性に劣るため、のちにクラックの発生に悩まされることになります。もちろんストリームラインもこの欠点は承知の上で採用、なーに1500ボルトの昇圧まで耐えればいいのだ。昇圧すれば車体の裏側にコルゲートでも貼ればいいのだくらいの気持ちでいたようです。
 さらに全長がのびた分全高を詰めればいいんじゃない? という発想のもと、車高を100ミリ下げました。結果重心も下がっていいことずくめでしたが、車内の圧迫感は否めません。さらに運転台直後および車端部の座席も省略(1500ボルト昇圧時に取り付け)、ラインデリアも未装備(同じく昇圧後にとりつけ)など、外せるものはなんでも外した状態でのデビューとなりました。座席はともかくラインデリアの省略は、扇風機がついてない(天井が低くてクリアランスを保てないのです)190形の評判を一気に地の底にたたき落としました。
 運転台も正面は大型の1枚窓、通風装置は窓下2ヶ所のベンチレータだけです。乗務員室扉を開けてもちょうど正圧と負圧が均衡する位置に扉があり風が入らないため、運転士からの評判も散々でした。のちにラインデリアが装備されたのちも運転台からはラインデリアの恩恵を受けることはなく、まるでサウナ風呂にいるような暑さだったそうです。じゃあ冬は暖かかというとそんなことはまったくありません。キーストンプレートは重たいからと床下を鉄板にしたため外の寒さが車内にもろに伝導するため、冬はまるで暖房が効かないという有様でした。ちなみにシーズヒータも昇圧まで装備されていませんでした。
 このような旅客への配慮すら無視した軽量化が功を奏して片肺でもSL-1MTM編成と同等の性能を確保し、6編成18両が1971年の昇圧までの3年間を乗り切りました。


原宿線に転属した190形。足回りを一新し冷房を搭載したことでサービスレベルは申し分なくなりましたが、大元のSL-1の部品はどこに…? と言われると自信がありません。

安住の地、原宿線へ
 1971年3月に予定通り昇圧されると、190形はラインデリアやシーズヒータ、座席を取り付け(床のキーストンプレート化は見送られました……)、本来の姿となり、SL-3とあわせて急行を中心に活躍します。しかし、軽量化を極めた190形は乗り心地が悪く、特にハイテン鋼と板枠台車の組み合わせは最悪で、時速65キロを超えると激しいビビリ振動に見舞われました。当時の急行は時速85キロが最高速度でしたが、大船〜藤沢間の直線で85キロを出そうものなら車体が分解するような激しい乗り心地だったと言われています。
 そのため、1973年に700形の製造が始まると、1976年までに6編成すべてが狭軌台車に履き替えられて原宿線に転属。モータはMB3032(75キロワット)を新調しWNドライブに、台車はシュリーレン台車のKD69Sに換装。ギア比は最高速度65キロの原宿線にあわせて5.85に設定し、ようやくストリームラインの電車に相応しい走りとなりました。ただし主制御器はABF-104-15VHを流用したため1C4Mの2コント構成。そしてMB3032は端子電圧375ボルトなので、つなぎのパターンを4個永久直列に変更の上、弱界磁率を35%としています。
 原宿線用となった190形は15メートル級3連という大きさが原宿線の輸送力にマッチしてたいへん使いやすく、乗務員・旅客にも好評を持って迎えられ、1984年には冷房改造も行われました。ビビリ振動や保温能力の低さは根絶できませんでしたが、最高速度65キロ、運転時間片道9分(当時は原宿〜中田間は未開業)の原宿線であればその欠点は顕在化しませんでした。
 こうして安住の地を見つけた190形ですが、ハイテン鋼の劣化が目立ち始める1980年代後半になると次期車両への置き換えが検討されます。1987年には原宿線が中田まで延長され、その際に造られた870形の運行が徐々に増える一方で、190形はラッシュ時の運行が中心となります。運用が減ったため1989年には3編成を2両編成に組みなおして越前急行に譲渡。そして2002年から、SL-6のボディを流用した880形が登場し、2005年には残りの3編成も除籍。190形は形式消滅となりました。

 

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