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湘南ストリームライン


SLシリーズ余話
〜SL-2とふたりの男〜

■SLシリーズとストリームライン
 SLシリーズは、ストリームラインの看板列車につけられる通し番号です。ストリームラインの伝統をまもり、かつ旅客に喜びを与える車両、というのが通したコンセプトになっていますが、このコンセプトがストリームラインの中で共有されたのは1952年のSL-3からです。SL-1は確固たる何かがあったわけではなく、平塚が市制を施行したのを記念して企画されたいわばお祭り電車で、それがたまたま好評だったため26両も造ってしまったという話にすぎません。当然、SL-1という呼び名もありませんでした。
 そんなうかれた時代から、だんだんと戦渦が日常のあらゆるものに影響されつつあったときのことでした。ストリームラインの小塚駅付近に大規模な軍需工場があり、省線電車の大船駅なり藤沢駅からでは距離があるため、この工場への通勤にはストリームラインが使われていました。その工場への輸送力を確保するため車両の新造が企画されました。1944年のことです。その当時はSL-1を両端に配置し、中間に木造tを2両つなげた4両編成を13本組んで輸送を確保していましたが、木造tは開業時の車両を電装解除したもので老朽化も限界に達しており、決戦輸送にははなはだ心もとない状況でした。そこで、木造tの台枠・台車を利用したトレーラーと、輸送力増強のための新型車両16両(mt×8本)を製造しようと計画が進みました。
 このとき、新形mt編成の企画立案を任された男が、SLシリーズの骨子を作り上げたと言われています。

■ストリームラインは格好佳くなければなりません
 ストリームライン本社の受付に、小さな額に入れられた手紙が入れられています。この手紙こそが、SLシリーズの原点です。


ストリヰムラインは格好佳くなければなりません
格好佳いとは己に意地を張ることです

 彼が営業所長(当時はストリームラインではなく、東急平塚線でした)に直談判という形でこの手紙を叩き付けたのは、1944年の夏でした。
 彼はかねてより、ストリームラインには高性能ロマンスカーが必要だと主張し、再三にわたり企画を提案したものの、時節柄否定され続けてきました。
 彼の高性能に対するこだわりは、SL-1との出会いからはじまります。平塚の商家に生まれた彼は、早朝に横浜へ買いつけに行く父の背中を見て過ごしています。当時、ストリームラインを使うと尾上町まで約70分ほどの道のりでした。それがSL-1の登場で上急行(現在の特急に相当)が走り始めると、平塚〜尾上町間は55分に短縮。その分父親は家でくつろぐ時間が増えたことを喜んだそうです。往復でたかだか30分の短縮ですが、彼にとってはとても価値の時間だったのでしょう。
 その彼が成人し、ストリームラインの門を叩きます。面接で彼は「技術が人を幸せにするのは鉄道である」と力説し、自分にとってSL-1がもたらした「価値ある30分」がどれだけ素晴らしいものだったかを滔々と語ったそうです。
 ストリームラインでは伝統的に、エンジニアリング部門と営業部門が分かれています。彼はエンジニアリング部門に配属され、大船工場で車両整備の仕事を任されました。そのとき彼はSL-1に触れ、SL-1の元設計担当と話を交え、やはり電車は高性能でなくてはならない。そして高性能な電車は人を幸せにすると確信を深めました。
 しかし、時代はそういった「贅沢」を許さない状況になってきました。贅沢が「できない」のではなく「許さない」時代。どちらかというと浮かれ気味なストリームラインはこの時勢において「寒川・茅ヶ崎回遊きっぷ」なるものを販売し、世の顰蹙を買います。当時の平塚新聞は「空樽の音は高い」という見出しで、ストリームラインの姿勢を強く批判しています。そんな中でSL〜1の後継車両など、提案が通るわけがありません。
 そんな世相の中で彼が営業所長に対しタンカを切ったのが、冒頭の手紙でした。世相に流されず、傲慢に意地を張ることを主張したのです。しかしそれはいわば国に楯突くことであり、当時の日本でそれが許されるはずはありません。
 そんな状態の中で、手を差し伸べたのが元SL-1設計担当の技術部長でした。技術部長は彼にこういいました。
 「大量輸送、それだけは外すな。あとはお前の好きにやれ。仕様書にハンコを俺が押せば、あとは俺の責任だ」
 こうして04形プロジェクトは動き出しました。彼の夢が進み始めたのです。しかし、部品の手配もつき、いよいよ製造に入るというところでで彼は召集を受け、南方に出征することになります。志半ばでプロジェクトから離れてしまう彼の気持ちはいかばかりでしょう。しかし国の命令に背くなど許されない時代。彼はストリームラインではなく、東海道本線の列車に乗って遠い異郷の地へと旅立ちました。 
 核を失った04形プロジェクトですが、その後の指揮は技術部長が引き継ぐことで(いろいろ難関がありましたが)とにもかくにも04形は完成しました。無骨とはいえ正面は流線型となり、窓は隅にRをつけた優雅なものとなりました。車内にはお金がないなりにあちこちに木造の細工を施し、質素ながらも当時としては華やかな車両となりました。扉は通勤輸送を鑑みて3ドアになりましたが、SL-1の意思を引き継いだ車両にはなったようです。
 ロールアウトした車両を見て、平塚線の職員は「うちの電車はやっぱりこうでなきゃ!」と歓喜したそうです。走り出せばローギアードで低回転のモータが軽い唸りとともに動き出し、苦心の末購入できたコロ軸受けの台車は期待通りの性能を発揮しました。04形は早速mtt(中間のtは木造鋼体化車両)編成で営業線に投入。平塚線の戦中輸送を支えました。


消えたもの 残ったもの
 東急電鉄本社に呼び出されたのは、平塚営業所大船工場の技術部長でした。04形というあの電車はなんだ。時節柄相応しくないという平塚線以外の声を受けての詰問でした。ここからは議事録を抄録したいと思います。
−工賃をかけてまで流線型にした理由はあるのかね

「安全の為です。夜間は客室の灯が運転台の窓に反射して前方の確認が難しいのです。しかし其は約10度正面窓を傾けることで解決します。また、前方を傾斜させることで資材の節約ができ、工賃の増加はこれらの点で穴埋めができると確信しております」

−側窓に丸い縁をつけるやうな遊びが許されると思つているのかね

「贅沢ではありません。むしろ強度が低く、厚みなき鋼板を使用しているので窓の開口は計算ずくで行わなければなりません。開口部が鋭角になるとそこに応力が集中し、ひずみや破断の原因となります。あのわずかな曲面が車体強度を保つていると言へるのです」

−台車にコロ軸受けを採用する必要があつたのかね? 話に拠ればローマンスカーを作ろうと画策していたと云ふではないか

「輸送力増強のためです。馬力の小さな電動機では軸受けの摩擦による損失は多大です。MB98形電動機は高速域での馬力に難があるので、コロ軸受けは必須条件でした。おそらくこの軸受けがなければ現在のような経済運転は望めません」

−車内の細工は? これこそ時勢にそぐわぬ華美な装備であるし、命令に背きローマンスカーを作つた何よりの証拠だ!

 「軽量化です。馬力の小さな電動車に少しでも輸送力をつけるなら、1匁だって疎かにはできません。従つてくり抜けるところはくり抜き、薄くできるところは薄くした結果の内装に過ぎませぬ。それが装飾に見えるのはただの偶然であり、強度計算の基に行はれた精密な仕事の結果です。それを褒められこそすれ、貶される謂れはありません」

 本人たちはいたってまじめなのですが、沿線の陽気な風土がそうさせたのでしょうか、東急電鉄からはとても不真面目に思われていた矢先に、技術部長の木で鼻をくくるような質疑応答に東急電鉄は怒りを隠せませんでした。後日、技術部長には社内の規律を乱したという理由で譴責処分がくだり、工場から去ることとなりました。
 そして南方に赴いた「彼」は、ストリームラインに戻ってくることはありませんでした。
 ストリームラインは二人の得がたい人材を失いました。
 しかし、04形は計画を変更されることなく(すでにそれを指揮する見識ある技術者は戦地に赴いていたのです)16両がロールアウトし、主なき平塚線で酷使に耐えている間に、戦争は終わりました。
 戦争が終わっても、ふたりは帰ってくることはありませんでした。
 しかし、もう、東急平塚線ではありません。
 

昭和27年3月1日
 戦争が終わり、ないないづくしの中少しずつ人は復興につとめ少しずつ余裕が出てきました。そんな中東急電鉄から分離独立した新生湘南ストリームラインは「模範的新形電車」の製造を企画。昭和27年3月1日に大船工場でお披露目式と報道公開が行われました。お披露目式では新型車両100形とともに92形と04形がならべられ、その場で新形式100形電車はSL-3という名前がついていることが発表されました。SLとはストリームライナーの略で、ストリームラインの看板列車をさします。
 報道陣から「なぜ愛称がSL-3と3番目を意味する名前なのか」という質問に対し、ストリームラインは「92形電車と04形電車の伝統を受け継いだ3代目の電車だからです。今後ストリームラインでは、92形をSL-1、04形をSL-2と呼称します」と答えました。
 次の記者は前の回答を受け「その、92形や04形から100形に受け継がれた伝統とは一体なんなんですか」と、問いました。
 すると、ストリームラインの広報は胸を張ってこう答えました。
「『かっこいい』ということです」

 湘南ストリームラインはこのとき、帰ってきたのです。

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