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湘南ストリームライン

 
SL-5(200形)
基本性能(現在)
編成:2011(cM)+2012(MPC)+2013(MS)+2014(MS)+2015(MPC)+2016(cM)
重量:33.5+34.9+33.0+33.0+34.9+33.5
モータ出力:MB-3281S(120キロワット)×4/両 ギア比:5.45(WNドライブ)
制御器:ABFM-1412-15MHRA(界磁チョッパ制御1C12M)
ブレーキ方式:MBS〜R
加速力:54キロまで3.3キロ/秒(混雑率250%まで一定)
減速力:常用4.0キロ/秒 非常4.5キロ/秒 最高速度:120キロ(認可110キロ)

はじまりは特急の増発用
 1971年12月に市営地下鉄との直通運転をはじめた湘南ストリームラインは、平塚〜桜木町間の所要時間が、市電直通時代の45分から35分へと大幅に短縮され、利用客もうなぎのぼりに増えていきました。そうなると3両編成では間に合わなくなり5両編成への増結がすぐに決まり、さらに6両編成への増結も検討されました。
 しかし、当時の主力車両であるSL-4(150形)は地下鉄直通前の架線電圧である600ボルトと現在の架線電圧1500ボルトの両方を走れる複電圧仕様となっていて、1500ボルトで使う際は4モータ永久直列方式となるために乗り心地の点でいまいちなほか、消費電力も大きいと言う問題がありました。すでに600ボルトでの運用はありえないのに制御系に無駄がある電車を作り続けるのはいかがなものかという考えや、当時SC-1の省エネ効果が注目されている時代でもあったため、特急形もこの際省エネ仕様にしようという流れになるのは自然なことでした。
 とはいえ、SC-1に使われている電機子チョッパ制御装置は、特急のようにストップ&ゴーをあまり行わない電車に使うには価格に見合わないということで、床下機器は複巻モータを用いて界磁を制御する界磁チョッパ制御が三菱電機から提案されました。三菱電機によれば制御器の数を減らすため、1コントで12モータを制御する方式とすれば価格を下げられるばかりでなく、モータの端子電圧が250ボルトとなり、回生ブレーキの作動領域の拡大が期待でき、加えて大きく重くなりがちな複巻モータの軽量化にもつながり、特急用としては申し分のない特性が期待できるとの説明がありました。ただ、重たいコントを1台に集約したためMPC車の編成重量が過大となり、横浜市交通局への乗り入れ条件である「1両あたり35トン以下」という基準におさめられず、車高を100ミリ下げてMCP車の重量を34.95トンにおさめることとなり、結果SL-4と連結するとコンタが揃わなくなり少々不格好なことになってしまいました。軽合金を車体に使えればこんな苦労はなかったのですが、価格的に釣り合う工法が生まれるのは、SL-6(250形)の登場を待たなくてはなりません。

SL-5(左)とSL-4(右)が連結している画像。よく見るとSL-5の車高がやや低くなっているのがわかります。

 ブレーキは回生ブレーキを採用することから慎重に検討されました。ストリームラインの回生車といえば当時普通電車用のSC-1、SC-2があり、両車ともHSC-Rを採用していました。しかしHSC-Rは回生ブレーキと空気ブレーキのブレンディングにクセがあり、あまり乗務員の評判はよくありませんでした。具体的には急に回生ブレーキが失効すると空気ブレーキの作動までに約2秒のラグがあり、制動距離が伸びてしまうというものです。そのため一部の乗務員は運行時間帯によっては回生ブレーキを殺して運転することもありました。これでは回生ブレーキの意味がありません。
 SL-5では界磁チョッパ制御の回生ブレーキを有効に活用するため、電気指令式のMBS-Rを採用。ブレーキの制御段数は7段になってしまいますが、そのかわり電空の切り替えは0.5秒と格段に向上。回生失効に際しても素早く空気ブレーキに切り替わります。これにより、安定した制動力と回生ブレーキを両立できるようになりました。
ギア比は5.45と比較的標準的です。これはMB-3281Sが(定格1,270rpm)と低速でパワーが出るモータで、高速域は界磁を制御して高回転(ただし低馬力)を維持できるという特性を持つため、ある程度ギア比を高速寄りに振りたかったのですが、一方で地下線内での加速力、時速54キロまで3.3キロ/秒の仕様を満たすため、中間の値をとったと言われています。これによってSL-4とは比べ物にならない高効率の運行ができるようになりましたが、騒音に関してはSL-4とどっこいどっこい。SL-6の登場後はやはり静粛性の低さが目立つようになりました。
 台車はKD-97S。ストリームラインでは標準となっているシュリーレン台車です。高速運転に対応するため、SL-4に比べ空気ばねの定数を若干いじっているくらいで、台車性能に関してはSL-4と大きく変わるところはありません。


直線的だったSL-4の評判は必ずしももいいものばかりではありませんでした。乗務員からは視界確保のための要望が多数あったので、非常扉は右に寄せられ視認性の向上が図られています。また、SL-4の直線的なスタイリングから曲線的な流線型に変わったのも、本来の意味での「流線型」がフラッグシップにはふさわしいと考える人が多くいたということなのでしょう。

ネガつぶし
 SL-4は企画にあまり時間を取れず、また、制約条件がいろいろあって必ずしも満足のいく仕様とはなっていませんでした。そこでSL-5では、SL-4のネガを徹底的につぶすべく、さまざまな点で改善がなされました。
 運転士からの不満点は「SL-4は貫通扉の関係で視界が悪い」という点でした。そこでSL-5では非常扉を車掌席いっぱいに寄せて視界を確保。また、流線型(ストリームライン)と言うには角張りすぎていた正面形状もあらため、曲線で構成されたストリームラインにふさわしいものとしました(もっとも、SL-6でまた角張ってしまうのですが……)。
 旅客係からは「窓のばたつきがうるさい」ことが指摘されました。SL-4では市営地下鉄線内で冷房が使えない(抵抗制御、しかも永久直列の単M車でローギアードですからその発熱量は膨大で、その上冷房などつけることは許されませんでした……)ことからやむを得ず二段窓となりました。しかしSL-5は回生ブレーキが使える界磁チョッパ車ですので遠慮なく冷房が使えます。そこで半数の窓を固定化、残り半分の窓のみ内側に開く窓を採用しました。これにより窓の摺動部分がなくなり静粛性が向上しました。なお、車内の温度を均一化する目的でSL-5ではラインデリアを採用しましたが、ただでさえ軽量化のために車高が100ミリ下がっているのに、ラインデリアでさらに天井高さを圧迫してしまったため、ラッシュ時に息苦しさを感じる室内空間となってしまったのは残念でした。

高架化工事が進捗中の茅ヶ崎付近(茅ヶ崎付近の高架化は1983年に完成)SL-5+SL-4の5連。過渡期にはこういった編成も走りましたがMBS-RのSL-5とHSC-DのSL-4の連結は快適な運転とは程遠く、一時的なものに終わっています。

高い完成度で今も健在
 SL-5は特急の6連化に合わせて1980年に3連5編成がロールアウト。奇数編成は桜木町向きの先頭車、偶数編成は平塚向きの先頭車をつないだcM+MPC+MSの3両編成で、偶数編成と奇数編成を背中合わせにつないだ6両編成のほか、過渡期にはSL-4を3両つないだ6両編成も見られました。ただし、SL-4と連結しているときは地下鉄線内での冷房は使えず(中にはこっそり動かしていた列車もあったようですが……)、「新型車両なのに冷房を使わないとは何事か」という苦情もかなりいただきました。
 SL-5の増備計画ではSL-4を6連化する際に不足する分、6連2本と3連1本を製造し、あとは時間をかけてSL-4を省エネ改造する計画でしたが、旅客数の増加はそれを上回る速度で進行し、毎時片道3本だった特急は1986年のダイヤでは毎時6本に増加。それに合わせてSL-5は異例のペースで投入が続けられ、1988年までにはSL-5は6連8本(正しくは3連16本ですが、現在では事実上6連固定で使われています)の陣容となり、ストリームラインの地下鉄直通運用はSL-5が8本、SL-4が5本の計13運行となりました。
 SL-5の評判はまずまずで、1989年にSL-6(250形)が登場してからも特急用として遜色のない活躍をしてきましたが、2007年の市営地下鉄ホームゲート設置に伴いみなとみらい〜平塚・寒川間の特急・急行運用からは離脱。しかしそのすぐれた足回りや車内設備は現在でも通用するものなので、SL-4に代わってラッシュ時の準急や通勤特急用として残存。現在も8編成すべてが健在です。

日中の運用こそ持たないものの、朝のラッシュ時は通勤特急としてみなとみらい駅にも顔を出します。SL-5はホームゲートとドアの配置が微妙に合わないのですが、弘明寺駅は幅広タイプのホームゲートをストリームラインが出資することで解決、ストリームラインの権限が及ばない特急停車駅の関内駅はSL-5で運用される特急は通勤特急と称し、関内駅を通過することにして問題を解決しています。

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